Mind Rock Award

Mind Rock Award 横須賀市が主催するロックンロールの精神を称えるアワード�

【特集:第一回マインドロックな男たち!】音楽は宿命となる―― 音楽はじめたことを恥じるな。好きな時にステージに帰ればいいNONA(Nomean)中学三年生のとき、少年誌の広告で見た一枚のドラムセットの写真。そこから始まった音楽人生は、ハード...
24/06/2026

【特集:第一回マインドロックな男たち!】

音楽は宿命となる

―― 音楽はじめたことを恥じるな。好きな時にステージに帰ればいい

NONA(Nomean)

中学三年生のとき、少年誌の広告で見た一枚のドラムセットの写真。そこから始まった音楽人生は、ハードロック、メジャーへの挫折、結婚、子育て、長い空白を経て、一本のアコースティックギターへとたどり着く。やめたつもりで、一度もやめられなかった――昨年、MIND ROCK AWARD で内田裕也賞に選ばれたNONAさんに、半生と曲づくりの源泉を聞いた。

【机の上で、手足をパタパタさせていた】

音楽を始めたきっかけは、中三でドラムを始めたことです。ただ、そのきっかけがちょっとおかしくて。吹奏楽をやっていたとか、そういうんじゃないんですよ。少年誌の広告に載っていたドラムセットの写真を眺めながら、「これ、どうやって扱うのかな」 と想像して、 机の上で手足をパタパタさせていた。 それを見たギターをやってる友達が、僕がもうドラムをやってるものと勘違いして、 「一緒にやってくれよ」って誘ってきたんです。それで本当に始めることになりました。

最初は 「YMO をやろう」 なんて言っていたんですけど、 YMO は生ドラムというよりシンプルすぎる。 ギター とドラムで面白いのはやっぱりハードロックだろう、 と。 それでハードロックのコピーをやるようになりました。 高校からは本格的にコピーバンドです。 当時流行っていたヘアメタル、 RATTやDOKKENみたいなバ ンドですね。 歌うつもりなんて全くなくて、 「お前はドラムを叩いとけ」 と。 上手くなってくると難しいこと がやりたくなるので、 最後はLOUDNESSとか。 あの頃はドラマーになりたかったんです。

親に 「音楽をやりたい」 と言ったら、 「音楽をやりたいなら、 大学に行ったほうが時間ができる」 と言われて。 勉強はあまりしてこなかったけど推薦で大学に入りました。

【お前の声、 すげえでけえなあ】

大学では、 音楽サークルで散々やりました。 ヘビメタに限らず、 ロックンロール、 ブルーズ、 パンク――ドラムでいろんなバンドに首を突っ込んで。
そうしているうちに、 ドラムを叩きながらサビのメロディを一緒に歌うようになっていって。 あるとき、 ものすごい轟音の中なのに、 マイクを通していない僕の生声がアンプ越しに聞こえたらしいんです。 「お前の 声、 すげえでけえな」 って。 それで、 ボーカルをやるのも面白いのかな、 と思うようになりました。

大学五年のときにオリジナルバンドを結成して、 デモテープを作りました。 神楽坂のEXPLOSIONのオーディションに受かって、 やっとライブができる――そう思った矢先に、 ギターの子が目黒・鹿鳴館をワンマンで満杯にするようなバンドに引っ張られていってしまって。 当時は自信もなかったし、 あの子がメインストリームに近づけるならしょうがないかな、 と移籍を許したんです。 あとで聞いたら「あのときNONAがやるっ て言えば、 お前とでもよかった」 と言っていたらしいんですけどね。 時すでに遅し、 です。

【曲はいいけど、 化粧しないの?】

正直、 僕は見た目があんまりかっこよくない。 ハードロックのボーカリストって、 やっぱり見た目が大事な んですよ。 あの時代の、 特に日本のヘアメタルは派手でしたから。 金髪にして髪を立てて、 派手な色のシャツを着て。 シーンもやんちゃで、 楽屋のものがなくなったり、 打ち上げで喧嘩になったり、 というのが普通 でした。

引き抜かれたあと、 メンバー探しに途方に暮れていたら、 EXPLOSIONの方が電話をくれて、 二つバンドを紹 介してくれたんです。 一つは化粧系のバンド。 新宿でミーティングしたんですが、 音より先に容姿の話にな って、 嫌だなと思って。 もう一つがアメリカンハードロック系で、 こっちはキラキラした格好をしていなくて、 いい人たちだった。 スタジオに入ると僕は強くて、 知らない曲でも歌詞のない曲でも、 その場でどんどん歌い始める。 それで気に入ってもらって、 一年くらいリハを重ねて、 目黒のライブハウスで月一のライブ をやるようになりました。

でも、 ロックだからという理由で、 バッドボーイズ気取りの演出を求められたり、 MC でも 「お前がやれよ」 みたいな不良っぽい喋り方を強要されたりするのが、 だんだん辛くなってきて。 「僕は音楽は好きだけど、 ロックをやる人じゃないんだな」 と。 それでバンドを辞めて、 一度音楽から足を洗おうと思いました。 二十五のときです。

その頃、 有名なバンドが所属していた事務所にデモを持っていったこともあるんですが、 「曲はいいけど、化粧しないの?」 と言われてしまって。 薄化粧くらいならまだしも、 それも嫌だった。 本当はメインストリーム のヘアメタルじゃなくて、 MetallicaやSlayerみたいなスラッシュメタルのほうに気持ちは移っていたんで す。 あの音像で、 歌だけはもう少しメロディック――それが当時の理想でした。

辞めるとき、 メンバーには 「俺たちと関わりがあったことは絶対に言うな、 坊主にしてこい」 と言われて。 髪 を赤く抜いていたから、 坊主にしたら赤坊主みたいになっちゃって。 それはそれで面白かったですね。

【一度きりではなかった、 別れ】

大学に入り直して、 最後の一年は今までの人生で一番勉強しました。 その間、 ロックは聴かないようにしていたんです。 聴くとやりたくなっちゃうから。 代わりに、 奥さんになる人が好きだったGLAYや歌謡曲を聴いていました。

卒業して二十七で就職。 しばらくは仕事に集中していました。 結婚相手とは、 諦めたバンド時代から付き合っていた人です。 音楽を一度諦めた理由の三割くらいは、 正直、 結婚を考えたからですね。 食えないままでは結婚もできない。 みんな、 そこで一度は音楽を諦めるんですよ。

ところが三十三くらいで少し余裕ができて、 奥さんと少し仲がこじれた時期も重なって、 「またロックやりてえな」 と。 時代も便利になっていて、 インターネットで会ったこともない人とバンドが組めた。 アマチュアと してヘビメタをやり始めた途端に、 奥さんの妊娠が発覚しまして。 もしあのまま仲が悪いままだったら、 も っとロックな生き方を選んでいたかもしれない。 でも子どもができて、 やると約束もしていたから、 引くに 引けず続けました。

このバンドが、 たぶん一番長く続いた。 三十三から四十代半ばまでです。 辞めたのは、 変則勤務のせいでライブの折り合いがつかなくなってきたことと、 もう少しエッジの効いた音楽がやりたいという欲があったか ら。 二十四時間勤務で一日おきだと、 普通の人には 「なんで家にいるのにリハに来ないんだ」 と伝わらないん ですよね。

【アコギにたどり着いて】

もともとドラムは叩けてもギターは弾けなかった。 でも自分で全部曲を考えるには楽器が要る、 とギターを 弾きながら歌うことを並行して始めたら、 アコギが面白くなってきて。 誰でも一本で歌えるオープンマイク があちこちで始まった時期でもあって、 自然と弾き語りに転向していきました。

今振り返ると、 辞めたり辞めなかったりを繰り返してきたようでいて、 完全に音楽をやめた時期って、 実は 一度もなかったんです。 気づけば、 忘れかけているものも含めてオリジナルが二十曲以上ある。 曲を作るのが楽しくなってきちゃったんですね。 自分の聖域で表現できる。 声域がこの先もっと落ちていったとして も、 自分の曲だから、 それに合わせた曲を作ればいい。 だから一生続けていけるんです。

【親父の骨を、 海に連れていった】

昨年、 MIND ROCK で歌った 「ある男の歌」 は、 父が亡くなったことがきっかけで生まれた曲です。
実は父が亡くなる前から、 アルペジオのパターンと、 「天から何かが降ってくる」 「地上から何かが舞い上がっ ていく」 という漠然としたイメージはできていた。 でも歌詞がなかなか紡げないうちに、 父が亡くなってしま って。

父の故郷は三重県の小さな漁村です。 父は高校を中退してからずっとこっちにいたので、 向こうとはすっか り縁が遠くなっていた。 だから骨だけでも連れていって海を見せてやろうと、 漁村の海べりに遺骨を置い て、 一緒にタバコを吸ったんです。 父はタバコが大好きだったから、 火をつけて隣に置いてやって。

そのとき夕陽を眺めていた情景が、 ずっと温めていた「光が落ちてくる/上がっていく」イメージとぴったり 重なったんですよ。 親父が今、 天に上がっていく――これだ、 と思った。 父の兄に会って昔話を聞き、 漁村 での生活から大阪へ、 東京へと旅立って、 最終的に天に召されていく。 そのストーリーが出来上がっていき ました。

僕の作り方は、 歌詞を一語ずつ書き留めていくんじゃなくて、 イメージができたらもう歌い始めちゃうんで す。 いい原型ができたら、 そこに必要な言葉だけをパッチワークして、 削ったり足したりして完成させる。 だから言葉数は少ないけど、 情景が伝わればいい。 たぶんヘビメタでリフからもらったイメージを絵にして いた、 あの作り方が下地になっているんだと思います。

【恥じることは、 何もない】

昔の仲間で、 今は音楽から離れている人に伝えたいことがあります。
音楽は一度始めたら、 消えない刻印みたいなものが植え付けられる。 それはもう拭えないものなんです。 いわば、 音楽が宿命になる。 だから変に恥じたり、 忘れようとしたりするんじゃなくて、 機会があればいつで も帰ってきて、 ステージに立てばいい。 僕がこれまで関わってきたミュージシャンには、 そう言いたいですね。

【私にとっての MIND ROCK】

MINDROCKは、 私にとって挑戦でした。 音楽人生も終盤に近づいてきた今の、 挑戦。

応募してみると、 思っていたよりずっと大きな空間でした。 普段の弾き語りのステージとは比べものになら ない広さで、 人もたくさんいて。 周りはロックバンドばかりの中、 僕らはアコギ二本でどうだろうと思って 歌ったら、 案外ちゃんと聴いてもらえた。 十年やってきたことは間違っていなかったんだな、 と。 何より雰囲気がすごく温かくて、 戦う姿勢じゃない。 二日間、 本当に楽しかった。 全国の同じマインドを持った仲間と時間を共有できる――それは物理的な会場だけじゃなくて、 つながった世界そのものが一つの空間なんだと感じました。

実は僕、 募集から決定までの間、 一度もSNSで動画を公開してもらえなかったんです。 だから「今年もダメか」 と思っていました。 でも最終的には予選まで進んで、 内田裕也賞までいただけた。 これから応募する人、 もう出した人に言いたいのは、 最後まで諦めないで期待して待っていていい、 ということ。 事務局はちゃんとあなたの作品に耳を通していますから。
---

そして、この記事を読んだバンドマンの皆さん、次はあなたの番です。

🎸 MIND ROCK AWARD 2026 応募受付中!

40歳以上なら、誰でも応募可能です。

そして、もう一人。あなたの頭に浮かんだ「あいつ」にも――参加を呼びかけてください。

📅 応募期間:2026年 6/9〜8/9
🔗 https://mindrockaward.com

🏆 グランプリ:11/3 ヨコスカ・ベイサイド・ポケット メインアクト

11/06/2026

🎸 MIND ROCK AWARD 2026 応募受付中!

11月3日(月祝)横須賀ベイサイドポケットで開催。
あなたの音楽で、横須賀を揺らせ。

📅 応募期間:6/9〜8/9
🔗 https://mindrockaward.com


#マインドロックアワード #横須賀 #ライブ #バンド募集

こんにちは、Mind Rock Award 運営事務局です。「MIND ROCK AWARD 2026」今年も開催決定いたしました。本日6月9日、ロックの日。MIND ROCK AWARD 2026、募集を開始します。40歳以上のメンバーを...
09/06/2026

こんにちは、Mind Rock Award 運営事務局です。

「MIND ROCK AWARD 2026」今年も開催決定いたしました。

本日6月9日、ロックの日。
MIND ROCK AWARD 2026、募集を開始します。

40歳以上のメンバーを1名以上含むバンド・アーティストが対象。音楽ジャンル、プロ・アマチュア問わず参加可能です。2023年のスタートから4年目を迎え、過去3回で全国から200組を超える応募をいただきました。

グランプリには11月3日(文化の日)、ヨコスカ・ベイサイド・ポケットでのメインアクト出演権。

皆さまのご応募お待ちしております。

🎸 40歳以上/ジャンル不問/プロアマ不問
📅 募集期間:6/9(火)〜 8/9(日)
🏆 グランプリ:11/3 ヨコスカ・ベイサイド・ポケット メインアクト出演権
📝 詳細・エントリー → https://mindrockaward.com

住所

神奈川県横須賀市小川町11番地
Yokosuka-shi, Kanagawa
〒238-8550

営業時間

月曜日 09:00 - 17:00
火曜日 09:00 - 17:00
水曜日 09:00 - 17:00
木曜日 09:00 - 17:00
金曜日 09:00 - 17:00

電話番号

+81468228427

ウェブサイト

アラート

Mind Rock Awardがニュースとプロモを投稿した時に最初に知って当社にメールを送信する最初の人になりましょう。あなたのメールアドレスはその他の目的には使用されず、いつでもサブスクリプションを解除することができます。

ショートカット

共有する