たまりんど

たまりんど 埼玉県小川町にある、明治時代初めごろに建てられた長屋を改修した町の? 埼玉県小川町にある、明治時代初めごろに建てられた長屋を改修した町のたまり場。小川町の魅力を楽しみながら、地域の経済循環に役立つイベントを企画していきます。

plan2-b小川町の豊かな里山をどうやって守っていったらよいのか、プランを考えました。『地域通貨ねこぽ』構想
23/11/2021

plan2-b
小川町の豊かな里山をどうやって守っていったらよいのか、プランを考えました。
『地域通貨ねこぽ』構想

plan2-a小川町の豊かな里山をどうやって守っていったらよいのか、プランを考えました。『森の守り人』構想
23/11/2021

plan2-a
小川町の豊かな里山をどうやって守っていったらよいのか、プランを考えました。
『森の守り人』構想

【たまりんどの思い出】その2-② Plan(計画)たまりんどを始めて半年ほどして、大家さんの田中さんやそのお知り合いの方々、たまりんどに来て意気投合した方々で、まちぶん(小川町創り文化プロジェクト)という団体をつくり、町並み保存や古民家の利...
28/07/2020

【たまりんどの思い出】その2-② Plan(計画)
たまりんどを始めて半年ほどして、大家さんの田中さんやそのお知り合いの方々、たまりんどに来て意気投合した方々で、まちぶん(小川町創り文化プロジェクト)という団体をつくり、町並み保存や古民家の利活用のための活動を始めることになった。
 その際に、小川町というのはどんなポテンシャルを持ち、どんな活用案があり得るかということをまとめた「全体計画」をつくった。確か、原案をつくったのは2015年か2016年頃のことだ。
 小川町に注目したイベントが開かれる度に「小川町の魅力をみんなでまず考えてそこからアイディアをまとめてみましょう」というのを毎回聞かされるのがちょっとムダに思えたので、『具体案のたたき台』をつくって、そこから議論を始めたら、プランの実効性も高まると考えたからだった。
 もちろん都市計画の専門家から見たら、資金繰りも採算性も工期見積もりも書いていない「ラフアイディア」だから、「計画」とはいえないかも知れない(実際、経営のプロという方からそのように面と向かって言われたこともある)。でも、そんなん後で考えればいいから、まずはここからスタートすればいいんじゃねーの、というヤンチャな考えだった。それで、とにかく勢いだけでこの計画を多くの人に見せてまわった。
 この中のいくつかは、商工会や金融関係や建築家の方々といった、本物のプロの助けを借りて、実現することができた。
 まちぶん以外の団体や、町役場の主導で実現したものもある。「まちぶん全体計画」がどれだけ影響したのかは、わからない。まあ、おそらくはまったく関係ないのだろうなぁ(^o^)。
 でも、小さい頃からこうした「計画」づくりが大好きな自分としては、結果的にとはいえ、目の前でいろんなことが思い通りに実現していくのを見るのは、なんだかみんなが自分の夢に協力してくれたような気がして、とってもうれしい。
 実は、最近、この「全体計画」に続く『第2号計画』とでもいうものを考えて、何人かの人にお見せしている。まだ、広く公表できる段階ではないけれども、いつかまたいろんな人に見せてまわることができるといいな。

18/07/2020

皆野町出身の俳人、金子兜太氏の生家として知られる「旧・壺春堂醫院」の主屋など県内の3件の建造物が国の有形文化財に新たに登録されることになりました。皆野町の「旧・壺春堂醫院」はおととし98歳で亡くなっ

07/07/2020

【たまりんどの思い出】その2-① People(人々)

前回は、心情的なことばかりだったので、もう少し客観的な点から「たまりんど」とは何だったのか、自分たちがしようとしたこと、しようとしなかったことを書いてみる。

 まず最初に、「小川町にはステキな人々がいた」というのが本当だと思う。
 和紙や清酒など小川町の文化を支えてきた方々、魅力のある古民家を残してくれた地元の名家の方々、そして小川町の評判を全国に広めることになった有機農家の方々。そうした「先人」の努力の上に、小川町の魅力はある。そして、移り住んできた方々も、小川町の自然や文化、安全な食や環境を守ろうという考え方に共感する教養の高い人が多い。そうしたステキな方々が醸し出す「気配」が自分たちを引きつけたのだと思う。『宝物』がたくさんあったのだ。
 そこで、ヨソ者の自分たちがなんとかソレを見つけるべくしたことは、
 a)地元の人とたくさん会った
 b)会った人から面白そうな人や場所の情報を得た
 c)知り合いと知り合いをつなげて輪にした
 ということの繰り返しだった。
 「たまりんど」に来てくださった何人もの方々(一番乗りしてくださったのは毛利さんという、小川町では超有名な元気ハツラツおじさんだった(^o^)。この方のおかげでどれだけ人脈が広がったことか…感謝です)はもちろん、こちらからも出向いて色々な人に会った。
 霜里農場(金子さん)の「無農薬で米作り酒造りを楽しむ会」、ヘメロカリスで有名な岡本さんの「満天座」のライブ、おがわ町自然エネルギーファーム、里山クラブなどなど、素晴らしい活動をしているグループがあって、そのイベントに参加したり会員になったりして、多くのステキな人たちと仲良くなった。
 お店にもあちこち顔を出すようにした。武蔵鶴、晴雲、帝松という3つの造り酒屋さんや、自然野菜レストランのわらしべさんや、地ビールのマイクロブルワリーさんなどの有名店、大衆的な人気の太田ホルモンさんなどなどの味を楽しんで、自家製の「町内お店マップ」をつくり、たまりんどに来てくれた人に配って宣伝した。
 特に、当時たまりんどの並びにあった、移転前のデリカテッセンアーチャンさんには大変にお世話になった(アーチャンのおじさんは世話好きな方で地域を盛り上げようという気概に燃えたスゴイ方だった、この人がいなかったら、たまりんどは地域には受け入れてもらえなかったと思う。大の恩人である)。数年前におじさんは亡くなってしまったのだけど、なんとかそのご恩を返すべく、気持ちを受け継いでいけたらと思う。
 そして、たまりんどの大家さんである田中さんや、元埼玉県立近代美術館の主席学芸主幹の伊豆井さんなどと、NPOまちぶん(小川町創り文化プロジェクト)をつくったことで、さらに多く「宝物」と出会うことになった(田中さんは代々続く町の名士なので、ヨソ者の自分たちなどではふつう入れないようなところまで紹介してもらえた。伊豆井さんのおかげで、まちぶんの教養の度合いがかなりアップした。ありがたいことです)。
 たまりんどやまちぶんで出会ったすべての方々を紹介するのはとてもできないけれども、すべての方々が自分にとって素晴らしい『宝物』だ。
 そんな自分たちの『宝物』探しのドタバタぶりの面白さが伝わったのか、多くの人がたまりんどやまちぶんでのイベントなどをきっかけに小川町に移り住んでくれたり、TVや新聞などマスコミが小川町のことを特集を組んで取りあげたりするようになった。
 近頃では、若者たちの中に、小川町の未来に注目して新しい動きをしようとしている人たちまで現れてきている。「小川町2.0」の始まりだろう。
 多くの優れた先人が苦労して小川町の魅力を「0.1」から「1.0」に引き上げ、今また若者たちがさらにそのステージを「2.0」へとアップさせようとしているのだとすれば、たまりんどが果たした役割としては、その課程で「1.0」を「1.1」にしたぐらいの貢献ができていたのならいいなと思っている。

【たまりんどの思い出】その1 Place(場所) たまりんどのあった長屋の一室と出会ったのは6年前の2014年の秋ごろ。この建物はそれ以前から存在は知っていたけれど、借りることができるとは思っていなかった。「For Rent」の看板を見て中...
04/06/2020

【たまりんどの思い出】その1 Place(場所)
 たまりんどのあった長屋の一室と出会ったのは6年前の2014年の秋ごろ。この建物はそれ以前から存在は知っていたけれど、借りることができるとは思っていなかった。「For Rent」の看板を見て中を案内してもらい即座に借りることを決めた。借りた後の使いみちも考えていなかったのに…(^o^)。あの時なんで借りることにしたのか自分でもいまだによくわからないのだけれど、いつもそれを「この建物に『呼ばれた』から」と説明している。
 当時はまだ都内に勤めていて住居も都内にあった。小川町の隣町に引っ越すことにしていて、自宅をセルフリノベでつくっていた(自分はその頃わりとブラックな職場で忙しく、自宅の施工はもっぱら連れあいにまかせ、週末だけ手伝いに来る日々だった)。そんなてんやわんやの状態に、なんでさらにもう一軒の建物に関わろうと思ったのだろう。
 あとから想像してみるのだが、「この建物が『扉を開けてほしがっている』のを感じた」のが大きかったのだと思う。スピリチュアル系的な言い方で申し訳ないけれども、そうとしか言いようがない。添付した地図を見てもらえるとわかるのだけど、たまりんどのあった長屋は、北から南に向かって、駅からまっすぐの突き当たりにあり、さらに通り抜けると槻川につながる。たまりんどにいるといつも感じたのは、玄関の扉と裏口を開けていると「土間」を通って風がスッと通り抜ける建物だなということだった。たまりんどのあった部屋は、まさにその建物の中央にあり、風の通り道とまっすぐにつながる場所だった。
 「For Rent」の看板の看板が出される前、この部屋は倉庫として使われ、長い間、扉は開かれることがほとんどなかったという。だから「この建物が『扉を開けてほしがっている』のを感じた」のかも知れない。
 まあ、それで、借りたはいいけれど、自宅の完成が優先だったため、たまりんどを実際に使い始めるのは約半年後のことだった。それまで、ただ家賃を払い続けるだけだった…(^o^)。
 そんな様子を見かねた知り合いの方の後押しもあって、「お店」としてたまりんどを開店することにしたのが2015年の6月6日だった。コミュニティスペースとして、イベントをしたり、雑貨を売る店として、素人の商売を始めたのだけれど、当然赤字続き。なんとかバイトで補填しながらの5年間だった。
 商売としては、なんともおそまつな「お店」ではあったけれど、驚いたのは、ここが「人を呼んでつないでくれる場所」だったということだ。先ほども言ったとおり、きっとこの場所を開いたことを建物が『喜んでくれた』のだと思う。本当にこの場所でなんとも面白い方々に何度も何度もたくさん出会うことができた。その上、訪れてくれた人が小川町を気に入って移り住んでくれたり、ここで出会った人同士が意気投合してグループを作ったり、まちづくりの運動へもつながったりした。自分はいつもそれを「たまりんどの神様の引き寄せパワーのおかげ」と呼んでいた。「気の通り道」ゆえに「人の通り道」になったのかも知れない。
 地図を改めてよく見てみると、ここは人間の体にたとえると丁度「へそのすぐ下」あたりに位置している。頭の位置に駅があって、左右に腕を広げ、槻川に向かって脚を広げている。たまりんどのあった長屋の裏手、小川町の「下腹部」とでも言える場所には、「花街」と呼んでもいいかもしれない色っぽい場所もかつてはあったという。だから、そんな町の機能に囲まれているたまりんどは、またまたスピリチュアル系的な言い方をすると、カバラでいうところの「ティファレト」のポジションにあると考えられる。「気」が集まり広がっていく『要』の位置である。そんな力のある場所に助けられて、集まってくれたいろんな人に助けられて、なんとかここまでやってこれたのだなぁと、しみじみ思う。
 たまりんどで出会った人のうちの何人かの人が同じように人が集まる場所をつくってくれて、そこに集まった人がまたグループをつくる。そうした「好循環」がこの5年間で生まれてきたと言ってくださる方もいる。だから、最低限の使命は果たせたかなと、ホッとしている。
 とりあえず、連綿と続いてきたバトンパスの、自分たちの「順番」は終わったのだけど、きっと誰かが引き継いでこの場所の力を引き出してくれると信じている。
 
 ※添付した簡略な地図は、かなり前につくったものなので、地図中の「いなげや」は現在は「カインズ」になっています。

【お知らせ】近頃の情勢を考慮して、5月末の閉店まで通常営業をお休みします。ご了承ください。個人的にご用のある方はその都度対処いたしますので、ご連絡下さいませ(^o^)!
08/04/2020

【お知らせ】
近頃の情勢を考慮して、5月末の閉店まで通常営業をお休みします。ご了承ください。
個人的にご用のある方はその都度対処いたしますので、ご連絡下さいませ(^o^)!

31/03/2020

【重要なお知らせ】
たまりんどは2020年5月末に閉店します。これまでのご愛顧に感謝いたします。
お友だちとお別れパーティを開く予定でしたが、これもしないことにいたしました。

本日4月13日、小川町の「酒蔵めぐり」。たまりんどにもステキなお客様がいらっしゃいました(^o^)!👘🍶🌈キモノでジャックin埼玉の皆さまのおかげで、一気に華やいだ空間に(@-@)!♥️
13/04/2019

本日4月13日、小川町の「酒蔵めぐり」。たまりんどにもステキなお客様がいらっしゃいました(^o^)!👘🍶🌈
キモノでジャックin埼玉の皆さまのおかげで、一気に華やいだ空間に(@-@)!♥️

土岐隆一郎さんの作品展、たまりんどにて好評開催中。端材や廃材を生まれ変わらせた家具と道具たち。 #小川町 #たまりんど
17/03/2019

土岐隆一郎さんの作品展、
たまりんどにて好評開催中。
端材や廃材を生まれ変わらせた家具と道具たち。 #小川町 #たまりんど

住所

Namegawa-Machi Hiki-gun, Saitama
355-0321

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